キラキラ!
いつも僕這いつくばったって、構わない
たくさん、色んなことがあった8月を超えて、あっという間に9月になってしまった。今年の8月はなんだか本当に一瞬という言葉が似合う月になった。
このブログも気がつくと一ヶ月以上更新していなかった。
8月の私を何度も救った曲が「キラキラ!」だった。前から曽我部恵一BANDやサニーデイサービスは好きだったけれど、この曲が大好きになったのは紛れもなく2020年の8月だった。
歌詞と題名とメロディが少しちぐはぐなこの曲は、ちぐはぐなくせに心にぶっ刺さる。 違うかな、ちぐはぐだから心にぶっ刺さるのだ。
キラキラしたいから、這いつくばったって構わないというこの歌はまるで私だった。
毎日の私の心はまるでモグラのように地中に潜り、表面上のふわふわした土しか知らないような人に分かってもらわなくてもそれが正解だと思っている。
私は曽我部恵一バンドもサニーデイサービスも生で観たことはない。
これから観たいけれど、こんな状況じゃいつになるのだろうか。
きっとあのバンドを生で見た日に私は
キラキラ!になれるように
その日までハレルヤエブリデイってことだ
ナイトミルク
匿名の第三者で安心したり
私が石崎ひゅーいを聴き始めたきっかけはもう思い出せない。知ったのはたしか、ハイキューの限定DVD、リエーフくんが主役のお話のEDかなんかだった思う。
知ったタイミングでたくさん聴き始めたわけじゃない。それこそ成人してからまた聴き始めたのだ。
何にもない雨の夜に聞いたナイトミルクと、おっぱいと夜間飛行、僕がいるぞ…私は何度泣きそうになりながら、時に涙を零して聴いただろうか。
あぁ、そうか。
ちょうど今日も、雨の夜だなぁ。そう思って再生した石崎ひゅーいを私は真っ暗な部屋の布団の上で聴いている。
今日は涙は零れない。明日への不安がよぎってもちょっとのことでは泣かなくなった。あの時よりも少し強くなったのかもしれない。だけど、本当はずっとずっと泣きたい。
何でかわからないけど泣きたい。わんわん泣いて、泣き疲れて、ずっとずっと眠っていたい。
泣かないから大丈夫な訳じゃなくて、泣いても泣かなくても大丈夫じゃない。ずっと、大丈夫じゃない。
優しいとか良い人とか言われる度にしんどいなと思う。私のこと何にも知らないくせに。
訳の分からない被害妄想や現実逃避が始まって涙腺に刺激がきたときに流れてきたワンフレーズに、目から一筋涙が伝った。
「さぁこっちむいて
顔を上げて その涙の訳も傷の跡もわかってるんだ
大丈夫だよ わかってるんだ」
こういう歌を聞く度に、私は真っ暗な部屋の中で歌に寄り添ってもらう気持ちになる。優しい歌がずっと好きだ。
石崎ひゅーいという人物をよく知らない。
だけど音楽が優しいことはよく知っている。
次の曲はおっぱいだってさ。
あぁ、そしてまた私は夜の淵でキラキラした夜空を見て、ふんわり飛んで夜間飛行へ飛んでいく。
いつか私も、誰かのナイトミルクになりたいと思いながら。
AFTER HOURS
歌が重なって 叫んでいる
今年の梅雨は長い。7月も下旬だというのにどんよりした日はもう少し続きそうな空だ。
おかげで可愛いスカートやワンピース、麦わら帽子は今か今かと家でデビューを待つことになっている。
雨のある朝、駅のホームでそういえば去年の梅雨によく再生した曲と思い出したのがシャムキャッツのAFTER HOURSだ。
シャムキャッツの解散の知らせを見た数日後だった。解散の知らせを見た時、私は一曲確かお気に入りの曲があったなぁと思ったが、曲の再生はしなかった。
私にとってこの曲は梅雨の曲であり、雨の日の曲なのだ。雨に関するワードなど1つもないのに。たしか最初は、シンゴさんの10を持てのプレイリストに入っていたんじゃないっけ。6月のプレイリスト。6月のプレイリストの中で一番ハマったのがこの曲だった。
雨の日は嫌なことも多い。どんよりした空に、滑りやすい駅のホームやタイルの上。荷物は濡れるし、髪の毛も纏まらない。だけどそんな日に雨が魅力的だと言ってくれるような音楽があって良かった。
私は雨の今日も、朝なのにAFTER HOURSを聞いて電車に乗る。仕事へ向かっているのに、
仕事のことを思い出しても
忘れたふりする AFTER HOURS
なんて曲を聴きながら。
偶の雨は許してあげようなんて、地球に対して寛容な気持ちを少し持つのだった。
風花が吹いたら
話そう 癒えなかった傷もあったんだと
THE BOYS&GIRLSのニューアルバムの一曲目は、言えなかったキス、癒えなかった傷という素敵な言葉遊びが歌われたすごい速さの曲だった。
アルバムのタイトルは「大切にしたいこと」
自分の大切にしたいことをしっかり考えるキッカケになった。普段から大切にしたいことは大切にしているはずなのに、いざとなるとちゃんと考えないと分からないなんて、そう思うのはなぜだろう。
曇天の夕暮れ帰り道、何を再生しようか迷って、この曲を選んだのだ。ジャケットの右端には、私の大切にしたいことの写真がある。
この曲のMV、それから、アルバムのジャケットに「大切にしたいこと」についての写真が使われた。ボイガルの各種SNSで呼びかけられ、もちろん私も送った。
ドキドキしながらMVを見た。すごい速さで写真は進んでいく。自分の写真が使われた箇所の歌詞を、メロディを、一生好きでいられる気がした。 心臓が、ぎゅっとなった。
なんだか日々はすごい速さで過ぎていくようで、一日一日はとても長く、疲れる。
だけど私にとっての一日は価値のあるものなんだと思う。多分。
今日嬉しかったことや楽しかったことはなんだろう。悲しかったことはなんだろう。
毎日毎日、すごい速さで、じっくりと過ぎていく。じわじわと時間を重ね、大切な人と紡ぐ。
毎日を、癒えなかった傷もそのままで。
そっと風花が見えなくなる頃にも紡ごう
癒えなかった傷に手を振ってさ
きっと風花は僕らだけに吹いたから
笑おう 言えなかったキスもあったんだと
言えなかったし、癒えなかったと笑って、強くなって、弱くったって生きていくんだ。
(ボイガルと仲良しのベランパレードのあびくんがいつか言ってたな
傷だらけのまま抱きしめて貰おうって。 )
エンジェルベイビー
ロックンロールは世界を変えて 涙を抱きしめて
ずっとこのブログでも書いてきたことだけれど、ロックンロールは世界を変えたし、世界を変えると思っていた。
それはきっと、少し語弊がある言い方かもしれないと思った。
ロックンロールが、世界を変えるんじゃない。
ロックンロールを聴いた人間が、世界を変えるんだ。
それから、世界そのものを変えるのではない。
ロックンロールを聴いた人間の世界を変えるのだ。
ロックンロールに救われる人間というのは、そういう風にできている、少なくとも私はそうなのだ。
エンジェルベイビーという曲名に似合わない歌と詩の内容は、滑稽かもしれないけれど
私にとってはこういうのが美しさなのだ。
また会う日まで
また会う日までの魔法
先程配信されたHump Backの期間限定、配信シングルだ。Hump Backの歌は昔から好きだった。なんなら今ギターで一番練習しているのは「月まで」である。
今の私、結構いっぱいいっぱいで、表面張力でどうにか溢れないようにしているという状況でこんな曲が来たら泣いてしまう。
ずっと1人でも我慢した。家族が家にいるから、分からないように泣いた。恋人の前では素直に泣けるけれど、その恋人と連絡が取れなくなって、ライブハウスもなくて、じゃあわたしが泣いて良いのはいつなんだろう。
また会う日までの魔法
どうかどうか 優しい君へ
柔らかい魔法 本当のことは
どうかどうか独りの夜へ
確かな魔法
本当のことはいりません。
独りぼっちの心に、ちゃんと届いたももこさんの声。また会う日までの魔法を、かけてくれてありがとう。
まだ辛かったり悲しいことも続くと思うけれど、頑張るからね。また会う日までの魔法だから。
バースデイ
変わっていくのは間違いなんかじゃないから
この曲、一度YouTubeのおすすめ欄に出てきて、聴いてすごく素敵だと思って、メモのためにツイッターにリンクを貼ったことを覚えていた。
先日、恋人からしばらく連絡を控えたい旨の連絡があった。恋人は、私のことを何も悪くないと言った。けれどきっと、私が本当に何も悪くないのであれば連絡を断つことは必要がないことだし、また、この連絡を断つの期間が余りに長くても、はたまた余りに短くてもそれは意味を成さないのではないかと思っている。
「しばらく」という言葉を心底重く感じた初めての出来事だった。
その日の夜、なんとなく雨の降る窓辺で白湯を飲んでいて頭に浮かんだのがこの曲だった。
「正しさだけが溢れる世界じゃないから
僕はまっすぐまっすぐ、前を向いていくよ
悲しさだけが溢れる世界じゃないから
僕はまっすぐまっすぐ前を向いて生きていくよ」
正しさ≒まっすぐだと思っていたけれど、本当の本当は、正しさ≠まっすぐなのだと、この曲でハッとした。私のまっすぐは正しいのか、はたまた、私の正しいはまっすぐなのか。違うのではないか。なんとなく少し、救われたような柔らかい気持ちに、ナイフを突きつけられた。
「裏側を知って 苦しみを食べた
心を削って 少しずつ大きくなる」
「優しさを食べて 少しずつ大きくなる」
このことを散々経験して学んだはずだった。愛して愛されるなんて当たり前が、私にそう易々とできるわけないのだった。また心を削っていくことを忘れていた。優しさって、そういうところからしか生まれないから、私の場合は。
「変わっていくのは間違いなんかじゃないから
ただ、まっすぐまっすぐ空を飛んでいくの
変わらないものは背中の翼にあるから ただ
まっすぐ まっすぐ 前を」
変わった先にあることがけして今までの正しい答えや自分じゃないかもしれないけれど、どんなところに辿り着いたとしてもきっと、間違いなんかじゃない。
真夜中の私は、星空を飛んでいた。
まっすぐ、まっすぐ、前を向いて飛んでいた。
それで良いと思うんだ。