その羅針盤

 

とっくのとうに君の手を掴んでいる 

 

ボイガルが大好きだから、いつもならCDは発売日やその前にフラゲとか予約をしていたけど、配信されたその音源を聴いた時、なんとなく、自分が置いて行かれている気がした。 

 

 

メンバーが抜け、サポートメンバーと活動をするボイガルを、なんとなく、多分、自分から避けていた。 

 

多分、そう、きっと、怖かったんだと思う。 

 

 

新曲を聴いた時、シンゴさんの書く歌詞だってめちゃくちゃ思った。 

だけど、なんだかオリジナルメンバーと最後に作ったという「今だ!」を聴いたときのことを思い出していたんだ。

 

あの日を忘れられないのはなんでだろう。 

何年経っても、忘れないんだろうな。 

 

だからか分からないんだけど、やっぱり、自分から離れてしまっていた。 

 

しかも、今日はわざわざ友達と会う予定まで作って、怖かったから配信の時間が終わってから見た。

 

シンゴさんはシンゴさんで、変わらずやっぱり歌う姿が印象的だった。ラストの曲、その羅針盤を聴く前にシンゴさんが喋る。たくさん喋る。もう、聴く前に泣きそうになっていた。 

 

「背中合わせの日々も諦めず話してみよう」 

「灯せヘイホー 涙までレッツゴー その先で初雪は待つ」 

「灯せヘイホー 擦りむいてレッツゴー 暗闇にこそ光射す」 

「誰も予想できない日々をいつまでも夢見ていよう」 

「眉間シワ寄ったままじゃ変わらんぞ」 

 

ここまでの曲を聴いて、

あぁそうか、ボイガルはやっぱり心のすぐ近くに、至近距離で、ただ居てくれる。心をノックしながら。  

 

 

ここまでの詩を歌ってから、シンゴさんは、

「とっくのとうに君の手を掴んでいる」 

と歌った。 

そうか。そうだった。 

 

ボイガルはいつだって手を伸ばしてそこにいてくれた。 

しっかり、私の手を握ってくれていたんだ。 

 

 

また助けられてしまった。 

音楽に。 

 

大丈夫。私。諦めない。 

夏が終わる前に全部、やれるだけやってみます。 

 

ボイガルは、とっくのとうに私の手を掴んでくれていたんだ。 

 

気づいた、夜中1時過ぎ。

 

生きて行く

 

 

おい。知ってるか? 

人はな、優しくなるために生きていくんやぞ 

 

 

Hump Back、大阪城ホールのライブ音源の「生きて行く」の一番初めに入っている言葉だった。 

 

朝、早番でまだなんとなく薄暗い道を行くときに聴いたら、なんだか嬉しくて涙が出そうになったりした。 

 

生きること、生き方について最近すごく考えるから(引っ越しで実家を出ることもある) 

不安になることもたくさんある。 

仕事をたくさん任せられて、嬉しい反面かなりキツかったり。自分のことでいっぱいいっぱいになって、恋人や友達を大事にできているか最近分からない。仕事をしてたって、優しくできていない自分もいる。 

 

優しいって、何かわからない。 

 

今日は早番で半休を取り、役所に引っ越しで必要な書類を取りに行った。新年度始まってすぐで混んでいて、待ち時間にうとうとしてしまった。引っ越し先の役所だったから、周りを散歩して、前に来たときに気になっていたパン屋さんに寄った。とても美味しそうで可愛いパンが沢山あって嬉しかった。小さいパンを3つ買って、また歩く。他にも可愛いパン屋さん、美味しそうなお店、可愛いお店が見つかった。引っ越しでお金はかかるけど、余裕ができたら行きたいなぁ、そう思いまた歩く。

 

新居の前を通ったら、そこから最寄り駅までどれくらいかかるか時間を測った。  

 

少し電車に揺られて、今度は実家の最寄りの一つ手前で降りる。最新巻を買い忘れていた漫画を買って、また30分ほど歩いて家に着く。 

 

手洗いうがい、着替え、洗濯物を出して、もらった書類を整理して、そしたらパンを食べたいからカフェオレを温める。 

今パンを一つ食べたので、落ち着いて文章を書いている。 

今日はイレギュラーな一日だったかもなぁ。 

 

 

忙しく、毎日は過ぎていく。

過ぎていく時の中で、私たちは生きていく。 

 

泣いて笑って転んで、 

そんな経験をした人は優しくなれると、尊敬している上司から言われたことがある。 

私は優しくなれるから、優しくなるために生きて行くんだ。 

 

 

 

 

ココロノナカ

 

いざ行こう、さぁハッピーエンドよ、そこで待っていろ。 

 

 

 
今日はなんだかずっと頭痛がする。 
寝てみたりしたけどなんだか治らない。 

 

多分たまに来る、眼精疲労からのやつな気がする。なんとなく、カメラロールを開いて好きな人との動画を見返す。 
そういえば、と去年の春頃の自粛期間にRADWIMPSが出したココロノナカに合わせて作った短い動画を見た。 

 

急に、あまりにも恋人が愛おしくて涙が出た。恋人と一緒にいる時の自分が好きだ。それすら愛せると思えるような彼に会えて良かったな。  

 

彼と一緒にいるときに私は笑っているし、 
私と一緒にいるときの私は笑っていた。 
あくまで写真の中だけかもしれないけど、それだけでも充分すぎるくらいに、愛おしくて切なくて、心がぎゅっとなった。 

 

気がつくと、頭痛は少し治ってきていた。 
涙が出るくらい愛おしいあなたのことを考えたらまた声が聞きたくなった。 

 

たまには私から電話に誘ってみようかな。

 

私には、言えてないありがとうばかりだから。 

なんでもない日々がなんな気なく過ぎる、 

なんてことない私が、あくせくと生きていく。 

そんな日々が来るまで、いや、来ても、一緒にいようね、ずっと。 

 

そんなハッピーエンドを待つ。 

いざ行こう、ハッピーエンドよ、そこで待っていろ!

 

 

CRYING BABY

 

君が涙を流さなきゃダメなんて、くそくらえだ 

 

この曲は、2018年10月7日の下北沢SHELTERの階段から聴いたのが最初だった。 

ハンブレッダーズは前々から好きだったけど、この曲はぶっちぎりだった。 

また泣いてしまった はやく音源になって欲しい反面、秘密にしておきたい曲でもあった。 

 

なんで今、この曲のことを思い出したかというと、アジカンのゴッチのインタビューを読んだからである。 

 

近頃は忌々しいウイルスの蔓延によって、中々ライブハウスに行けない世の中になったと思う。気軽に、一回で良いから行ってみようよ!とかも言えなくなってしまった。そういうのを読んで悲しくなった。本当にそうなのだ。自分自身も、行けなくなった。あんなに通っていたライブハウスに、もう一年近く行っていない。 

 

そのインタビューの、インタビュアーの方が綴った文章に胸打たれた。 

 

「筆者自身、コロナ以降、身辺の“ライブ仲間”から幾度となく聞かされたのが、「ライブハウスに行けなくなって心の居場所がない」という言葉だった。ライブハウスは、さまざまな理由で世間から爪弾きにされた人やどんな人でも受け入れる、誰をも拒まない場所だからだ。生きにくさや孤独感を抱え、ライブハウスを心の拠り所にしながら社会生活を送っている人にとって、ライブハウスは貴重な空間である。」 

 

 

これは本当に真理で、自分が一番辛かった時にも受け入れてくれた優しい場所がライブハウスだった。 

こんな今だからこそ、栄えて欲しい場所なのだ。

 

あの日のハンブレッダーズのCRYING BABYは、世界で一番優しくてカッコ良かった。光のロックってそういうことだと思っていた。 

 

「優しさのせいで君は傷ついて、間違ってしまったのは私だと世界の肩を持つけど」 

「平気平気って笑わないでくれ 嘘だとわかってしまうから」 

「君の心を守れない歌なんて意味がないや」 

 

言葉の一つ一つ、歌声が、音が、全部が優しかった。あの日私は、確かに下北沢シェルターの階段で救われたのだ。 

 

あぁ、ライブハウスが恋しい。大好きだ。  

何度でも思い出すあの日の空気と音と景色。 

はっきり思い出せるのは、どうしてなんだろう。 

 

きっと私の大切な時間で場所で。 

ライブハウスが恋しい。思い出させてくれたハンブレッダーズに心から感謝する自分がいる。 

 

 

引用 :https://t.co/yuCerFOoGZ

 

 

 

 

100億年先のずっと先まで

 

これからやってくる新しい全て 

私たち2人で懐かしみたい 

 

 

 

ハルカミライの、インタビューを読んだ。音楽雑誌に載っていたものだ。その日私が再生していたのは、100億年先のずっと先までという曲だ。アルバム発売に先駆け、先行で配信していた。曲を聴いた時に心がふわっと浮いて、ドキドキした。MVを電車の中で見て泣きそうになった。 

 

音楽で、音源で涙が溢れそうになったのは久しぶりだった。 

 

 

 

付き合って一年以上経つ彼は、世間一般で言う夢追い人だ。よく他人から「辞めた方が良い」だとか「お金ない人無理」だとか言われる。 

私は彼のことが心底好きで、逆にお金や安定を求めずに頑張ることができる彼のことを好きになったし、誇りに思っている。 

 

なのに、近頃少し不安になることがある。 

 

 

大丈夫だと自分に言い聞かせながら、彼のことを考えると愛おしさと何かわからない涙が溢れ出てくるのだ。 

そういう寒空の帰り道、この曲を聴くのだ。 

 

 

「秘密はこの胸の中 

持って行くつもり墓場まで 

嘘はつかんけれど、黙っていることも優しさ」

この言葉に私は納得して、それから、心に落っこちてきた。

 

二番の同じメロディの歌詞、

「秘密を打ち明けてみた 君にだけ話してみた

現実は変わらんけど 身体が少し軽いや」

「愛想じゃ乗り切れぬ日々の隙間 腹抱えて笑う君がいれば そこは見つけ出した心のオアシス」

 

きっときっと、こんな風な彼と私のことを、彼を悪く言う人達は知らない。こんな、こんなにかっこよくてどこまでも突き抜けるようなあったかい歌のような私達がいることを、誰も知らないでしょう。 

 

知らないから、経験したことがないから言えるんだと思った。不安に思う私をぶっ飛ばしてくれたのはハルカミライと、なによりも大好きな彼だった。 

 

「これからやってくる新しい全て 

私達二人で懐かしみたい」 

 

まるで今から想像する未来の話。 

私は、きっと、一人でも生きられると思う。 

だけどそれでも彼と一緒に生きていきたいんだと心が言う。 

 

そう、 

100億年先のずっと先まで 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

HAPPY BIRTHDAY

 

くだらない話は思いつくのに 

君を抱きしめて良い理由だけが見つからない 

 

 

 

寒いなって思ったその空気を感じたら、イヤフォンから最初に流すのはback numberだと決めている。 

冬に一番聴くバンドかと思う。 

 

 

寒い朝、西藤公園を聴いた後、久しぶりにHAPPY BIRTHDAYをよくよく聴いた。 

 

 

あの苦しくて辛かった片思いをしていた自分も、今の自分も、重ね合せる曲だなぁと少し思う。

 

昔、好きだった人を抱きしめて良い理由なんて見つからなかったのに、無粋な理由で抱きしめられたりしたな。 

 

 

 

 

今、大好きな彼とお付き合いをさせてもらっている。隣にいるだけで抱きしめて、抱きしめられる時もある。いつも絶対に、彼はあったかい。この人を抱きしめて良い理由を手放したくないと強く思う。

 

 

「愛が何かは知らないけれど、好きと言う名前の痛みになら詳しいかも」 

「どうにも君のいない場所は空気が薄くてさ」 

「着信の音で飛び起きたけど、損したな 

君かと思ったのに」 

 

 

全てきっと、片思いの人のための言葉なんだろう。だけれどきっとカップルと呼ばれる人たちの中では、どちらかの好きが重たい場合が多くある。天秤が傾くたびに好きの重さが重たい方が辛くなるのだ。  

 

 

最近の私はどうなんだろう。自分でもわからないまま。 

 

天秤が傾くことってすごく辛いことだよなぁ。 

私は、私は、彼に好きでいて貰えているんだろうか。 

 

怒ってばかり、悲しませてばかり、嫌な思いばかりさせていないだろうか。 

 

もうすぐ誕生日の自分にささる 

 

「HAPPY BIRTHDAY 片思いの俺」の歌詞 

 

心の天秤がきっとそうならないように。 

私は頑張るし、恋人のこと好きでいたら、好きでいてくれるかな。 

 

この歌が大好きだな。 

現在地で共感するしないじゃない。  

 

きっと、誰もが心が痛むものなんだろうな。

 

 

 

忘れないで 忘れないで

 

キミの目の前を暗くするそいつを壊しにきた 

 

 

色んなことを考えて、どうしたら私は正解で、さっき辛そうにしていた人にどうやって声をかけたら良かったのかなぁ  

飲み会で彼氏に理由を言われずにフラれたと泣いていた先輩に、私は何も言えなかった。  

 

二十九、三十を聴いて帰ってくる夜は、決まってそういう夜だった。

 

 

 

 

 

 

深夜、そう思いながらお風呂上がりに顔に化粧水を塗っていた。何気なくつけたテレビに出てきたのはサンボマスターだった。家族は全員寝ていて、シーンとしたリビング。

 

「新曲 忘れないで 忘れないで」

 

 

サンボマスターをしっかり聴くようになったのは恥ずかしいが近年のことだ。 

私は、サンボマスターを聴くことで何度も泣いて何度も救われて光を見た。そういう歌を歌うのがサンボマスターなのだ。 

 

新曲はちゃんと聞いていなかった。 

 

 

膝に保湿クリームを塗りこむ手が止まる。 

 

 

"キミの目の前を暗くするそいつを壊しにきた"

"底なしの闇を越えてきたんだね 

でももう苦しまなくて良いんだよ" 

 

 

悔しいけど、こういう時に「私のために歌ってくれてる?」そう思えるような曲がロックンロールだろと思うのです。  

深夜のテレビ、私は釘付けになった。ねぇ、サンボマスターは、テレビの向こうから、私の歌を歌っている?

 

 

"どこまでも闇は迫ってきたんだね でももう苦しまなくて良いんだよ"

"しんどくなったならばラブソングを鳴らすのさ優しくて美しいだろ" 

"それでも冷たい雨が君の頬を濡らすなら 僕は勇気を出さなくちゃ"

 

顔が綻ぶ。私のための、私の歌だ。 

久しぶりにそういう曲に出会えた。 

 

サンボマスターは、光の向こうのそのまた向こう。光のロックって、サンボマスターのことだったのか。  

 

曲を聴いていてまた思い浮かぶのはずっとずっと辛かった時の自分と、あの時の私の顔。それから、今の私の好きな人。

誰かにとっての大事な人が、誰かにとっての光のロックンロール。 

 

それは、光のように胸を刺し、 

じんわり、ゆっくりと、冷たくて凝り固まった心を溶かす。 

 

こんな曲と、君と、サンボマスターは 

自分の光のロックだと気づいた、そういう夜だった。